ふる里探訪の史跡巡りの第3回として、平成19年11月16日(金)午後7時より尾久八幡神社の社務所2階の大広間において、「尾久の歩みから町を考える」というテーマで講演会を開催した。
 今回は、尾久をテーマとしているため、尾久満天会の御協力をいただき、共同主催とした。
 講師は、昨年と同じ荒川ふるさと文化館、野尻かおる副館長にお願いした。

 40名強の参加者を得て、三水会柏倉会長の開会の挨拶に続き講演会が始まった。
 豊富な経験と知識、更に聞く人を飽きさせない絶妙な会話であっという間に2時間が過ぎ、恒例のテストをもって講演は終了した。
 荒川区議会議員小坂まさみの挨拶、そして満天会石原会長の閉会の挨拶をもって講演会は終了した。
 講演の内容(テストも含めて)下記にまとめました。
 ご参加いただきました皆様の御協力を厚く御礼申し上げます。

柏倉レポート

1.はじめに

現代の尾久というところ(荒川遊園、都電荒川車庫、首都大学荒川キャンパス等々)
発展の源→王子電気軌道(都電荒川線)
寺(碩運寺)の湯→尾久温泉発祥の地で尾久が発展するきっかけとなった。

2.尾久の三不思議から見る町の歩み

尾久の歴史は古墳時代まで遡れる。

  1. 消滅した塚(古墳時代の鎧、金のお椀が出土された)
    → 十三坊塚(現在の町屋5丁目で、この辺で上尾久と下尾久に分けられていた)
    「条理南道の碑」→古代の行政区画の跡として残された(現在の西尾久5-3)
  2. 「おぐ」か「おく」か
     ↓    ↓
    正しい  明治時代、駅名を付けた時の誤表記であった。しかも尾久駅の所在地は北区昭和町
    尾久は区内で最古の地名で、鎌倉幕府が編纂した歴史書「吾妻鏡」に「犬食」と表記されているが、犬は誤表記で大食(オグ)→尾久となる。
  3. 消えた桜草→現在の原公園の辺りは江戸時代には桜草の名所であったが、新田の開発等で消滅した。
    現在の東尾久8-26付近に医師であった佐治玄琳の屋敷があって、牡丹が見事に咲くことから牡丹屋敷といわれた。

3.都電荒川線の駅に見る尾久の歴史

  ※大正2年(1927)に敷設された王子電気軌道(王電)に始まる。

王子=熊野神社の末社に付けられた名前
  1. 宮ノ前 → 八幡神社と尾久八幡様はどこから来たの?
    鎌倉時代末期〜室町時代初期、鶴ヶ岡八幡宮より分祀される。
  2. 熊野前 → 「熊の前」は×で熊野神社の前という意味。
    熊野神社は和歌山の熊野大社より分祀された事が那智大社の記録にある。が、明治11年(1878)に一村一社のため、八幡神社に合祀され「熊野前」という地名のみが残された。
  3. 荒川遊園地前 → 大正11年(1922)開園の公立遊園地では都内最古で、温泉あり、鉄道ありの都内近郊行楽地の先駆け。

4.八幡神社の文化財を見る

  1. 八幡神社棟礼(荒川区指定有形文化財)
    至徳2年(1385)・明徳4年(1393)等8枚が保存されている。

    ※最も新しいものは昭和8年(1933)芝江初五郎(本会会員の芝江貞徳氏の曾祖父)と記されていた!
    棟礼=建物の上棟時に屋根の最上部にある棟木に取付ける上棟を祝うお札のこと
  2. 上尾久村村絵図(荒川区指定有形文化財)
    文政2年(1819)以降のもので、八幡神社の氏子域が現在の町屋や北区堀船にまで及んでいることが良く理解できた。

    ※その保存状態の良さに改めて感心し、貴重な資料として後世に残さなければと思いを強くした。

尾久歴史検定(テスト)